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蜀の名将張任について語れ

1 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:17
張任が劉備に降っていたらなぁ・・・と思う今日この頃です。

2 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:19
鳳統を帰してくらはい・・・

3 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:21
ホウ統は成都で流れ矢に当たったんでは?

4 :???:02/09/17 20:22
チョウニン

5 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:23
五虎将軍になってたかもね

6 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:23
>>3
いや、成都ではない。ラクだったかな

7 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:26
?城主将、劉循も語ってくれ…

8 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:27
劉循は、良くやった。

9 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:28
張任は微妙に過大評価されてると思うのは俺だけですか。
別に凡将とは言わないけど。

10 :7:02/09/17 20:29
見事に文字化けた。ラク【各隹】城、ね。

つーことで、劉焉劉璋期&蜀出身人物についてカタレ。 テホスィ。

11 :雷銅マンセ一:02/09/17 20:29
張翼もわすれないで・・・

12 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:30
残念ながら正史では名将と言うほどの記述は無い罠。

そして
「無粋な事言ってんじゃねーよ、氏ね」と煽られる罠。

13 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:33
ちょうじん?ちょうにん?

14 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:33
横山では妙にしぶい歌まで載せてもらってたけど、あれは本当にある歌かね?

15 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:34
昔話にムキになって・・・

16 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:35
>>12
それはそれでいいんじゃねーか。
「ならなんで張任にあそこまで良い役が?」という議題も出てくるしな。

>>13
「ちょうじん」だと思うぞ。

17 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 19:02
演義で過大評価の武将を過大評価そのままに話すスレにしようか。
厳顔とか。

18 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 07:46
劉焉って演義では劉備を優しく迎え入れた温厚な爺さんって印象なんだけど・・・
実は政治家としてかなり優れてると言えるのか?
行動にも野望家として一貫性があるように見えるんだがどうよ?

刺史⇒牧を上奏して地方軍閥の力伸ばそうとしてるし、
中央の混乱と権限が及びにくくて地理的にも守りやすい
穀倉地帯の益州に自ら望んで赴任してるし、
益州での自分の権力強めるために邪魔になる奴を殺害しちゃってるし。

19 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 04:17
パーフェクト張任

20 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 09:45
劉焉はかなりの腹黒爺さん。
先見性も行動力もあったが、益州を固めた所で寿命が・・・

21 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 10:03
張任ねぇ。別に何の思い入れもないなぁ。
雷同のほうがまだかわいげがあるワイ。

22 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 11:09
>>20
すごいぞ爺さん。ちょっと調べてみた。
まずは都から一緒に逃げてきた民を軍隊に仕立てている。張任もこの中にいる。
彼は流浪の民だったわけだ。
中央から蜀を分断するため張魯を漢中に派遣。わざわざ交通を分断するとは
劉邦みたいな話だ。
さらに馬騰と組んで李カクを攻撃しているから天下取りの心もあった。
王族だからそれなりの自負があったのだろう。反乱分子の馬騰と組んだのは
現実主義ということで。
ただ、これに失敗して都の息子たちが殺されたのが痛恨。残ったのが例のアホ。
こいつじゃ狙える天下も狙えなくなる。張魯うまく使えよ!他にいなかったのかと
小一時間(r

23 :22:02/09/22 11:14
うわー長い。縦読みするなり2行目以降読まないなり
勝手にしやがれ。

24 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 12:31
「天子の気がある」とかいうので、喜んで蜀に行ったし。
喰えない爺さんだ。
だけど中央の激戦から遠く離れてしまったため、
息子が引きこもりになって、海千山千の劉備に
やられてしまったのかも。

25 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 13:44
>>22
あれ?「先主伝」の注に引く『益部耆旧雑記』には
「張任は蜀郡の人で、代々貧しい家柄であった」
とあるから益州人士だと思ってたんだけど違うの?

26 :22:02/09/22 16:21
ゲッ! ちなみに調べたのは「三国志5事典」(←オイオイ)。
「張任らも東州兵(蜀に来た流民)だった」とあったのだ。
やはり正史が手元にほしい……


27 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:27
張任より腹黒じじいの方が話題として面白い罠

28 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:56
腹黒爺さんの方が資料が多いしね。

正史によると、張任は蜀郡の出身で代々貧しい家柄。
劉備軍と戦い、生け捕りにされると降伏を勧められたが、
老臣は二君に仕えずと啖呵を切り、そのまま処刑された。

能力について具体的な記述はないが、
胆力があり、強い忠誠心と精神力の持ち主ではあったようだ。
ある意味では、演義で得をした人物の一人だね。

29 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 21:05
張任って劉璋陣営でもほとんどいなかった、
「劉備にくだらなかったヤシ」
だから評価されてるだけだろ。
劉備の侵攻に耐えてた功績はどう考えても劉循だし、
張任って敗戦しか記録に無いはずだが…?

30 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 21:31
>>29
だから演義の話だって

31 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 21:34
俺も張人の死が惜しまれるな。
コーエーでも1では武力91という高評価だ。
噂に名高い鳳雛をやっつけたからな。
劉循?地方の行政官か?

32 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 21:37
鳳統は何処かの城を攻略中に流れ矢で戦死だと思うが
張仁が討ち取ったなんて記述有ったか?

33 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 21:47
劉備勢に勝っていない寧ろ2回は負けている。
ラク城での戦いは普通に見てみると劉循の方だ。
だが、劉璋から精兵を与えられている辺りを見るとなかなか
の武将で有った様である。
演義で大きく取り上げられるのは劉備に直接説得されても
降伏しないような人物であったからだろう。

34 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 22:03
>>33
なかなかの武将というか、劉循は劉璋の息子ですので。

どうも父に似ず、いい将軍だったっぽい。
演義の張任≒正史の劉循と考えていいかな。

35 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 22:07
いや7だけど、マジレスしちゃうと、重要な軍の主将に一族の者を選ぶのは
統率を保つ常套手段なので、史実でラク【各隹】城を一年持たせたのが
誰の功績なのかは、もはや想像するしか手がないワナ…

36 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 19:03
悪魔張任保守sage

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