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魏延って実のところどうなの?

1 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:15
経歴の長さと武将不足から、それなりの位はもらったけど趙雲って、実力としては中堅クラス。
武侠として、魏における許チョと同じく奥向きの警護や親衛隊長を任され、少数の兵を率いて
個人的な武勇を発揮するのは得意だけど、兵を率いる部将としては魏延や馬ショクより評価が下
だったのは生前・死後の扱いを見ても明らか。
逸話が多いのも、親衛隊長として劉備やその家族の身の回りにいたからに過ぎない。
陳到のような事跡が残っておらず、演義にすら採用してもらえない人物と同評価だったことからも
趙雲の実力はハッキリしている。
・・・と、こう書くと趙雲ファンの人はイキリ立つが、ちょっと待って欲しい。
人の評価というのは戦場の駆け引きだけにあるのではない。
奥向きのことを任されたことからも判るように劉備からの信頼は厚かったし、信義を重んじ
実直・清廉な人柄だったのは間違いない。
もし本当に趙雲のことが好きなら、妄想や過大評価で彼の真の姿を歪めることなく正しく
ありのままに評価すべきではないだろうか。
・・・と冷静かつ客観的視点のもとに魏延を語れ

2 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:15
aho

3 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:18
魏延、叩き上げの兵隊野郎ですな。
性格の悪い楽進か凌統みたいな人物ではないだろうか?

4 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:25
>>3
「叩き上げ」に賛成
叩き上げの積極的実践派だったので慎重な理論派の孔明とはソリが
合わなかったのでしょう
机上の戦略家や文官を鼻でバカにする態度が、孔明や文官たちの
癇に障って憎まれたんでしょうな

5 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:25
鼻糞程度

6 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:26
わしを斬るものはおるか!!
わしを斬るものはおるか!!
わしを斬るものはおるか!!
わしが貴様を斬る!!
コロリ
オラオラ庸奴が!もう一編悪い事をやってみろ!

7 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:27
>>2>>5は狂信的な趙雲厨房?
気に入らなきゃ、
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1030851941/l50
に趙雲マンセーなカキコしてればいいのに・・・
だから光栄で三国志を知ったゲーム小僧はキモイんだよなあ

8 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:29
>>6

魏延
魏延
魏延
馬岱
楊儀

9 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:30
>>4
孔明と反りが合わなかったというのは正史にあるの?
別に孔明に疎んじられていたようには思えないが。
戦術の方針が異なるというのは疎んじられていたとは言わないよね?
立場が違えば方針が違うこともあり得るでしょう。
それから、戦略は机上で構わないと思う。戦術は戦場だが。

10 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:33
諸葛亮の魏延排斥の為の策は正史にもあるよ

11 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:33
>>7
>>1の趙雲が「兵を率いる部将としては魏延や馬ショクより評価が下」って
ところが、「趙雲=知力&武力は90以上」を信じる光栄小象どもの怒りを
買ったんやろね〜
よく読めば>>1も趙雲をほめているんだが、頭の悪い光栄小象には
>>1の文章は漢字が多く長すぎるので読めないんでしょうw

12 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:34
>>10
正史の何処に、どんな策が?

13 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:36
>>3
叩き上げの兵隊野郎・・・・
魏延って、特攻野郎Aチームのボス・ハンニバルみたいな人?w

14 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:56
http://www.guoxue.com/shibu/24shi/sangzz/sgzzml.htm
正史

15 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:04
魏延≒児玉源太郎
趙雲≒乃木希典
孔明≒山県有朋

16 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:06
魏延=一木清直

17 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:15
>11
私は趙雲ファンですが>1は至極真っ当だと思いますが何か?


ツーかアンチウゼェ。
マンセーもウゼェよ。

18 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:21
>>17
>>11>>1を誉めてるよ

ツーかアンチウゼェ。 マンセーウゼェ。
文も読めない奴は一番ウゼェよ。

19 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:32
>>18
17は趙雲ファソから見ても1は正論だと言いたいんじゃないの?
11が1を誉めてるどうこうじゃなく、趙雲ファソは盲目みたいな書き方してたから反論しただけかと

20 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:46
>>1
つかわざわざ趙雲と比較する必要あるのかと小一時間(以下略

21 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:51
>20
禿同。
比較しなければ、趙雲も魏延もそれぞれ名将として褒め称えること
が出来るのに、比較すると一方を持ち上げ一方を貶めることになり
がちだからね。
ある者を評価するときにはその者だけを評価の対象にする方が
正当な評価に近づけやすい。

22 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:55
魏延が漢中太守に任じられた際、劉備に対して…

「曹操の手下、十万騎であれば、てもなく退けてみせる。
 曹操直々の征伐であるなら、王の御出ましを願う。」

…のようなことを述べたとか聞いたが、真相はどうなので?

23 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:57
>>22
かっこいい!

24 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:58
マスメディアがない時代なんだから、とりあえず史書を信頼しとけば?
自分の実力を誇示しつつ、劉備を立てることも忘れない機知だと思うが。

25 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:00
>>22
このエピソードを演義で採用しなかったのは羅貫中の
悪意だと思う

26 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:01
>>24
そうですね。中途採用で出世してるわけだから
よって終了。

27 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:05
>>26
蜀なんて中途採用ばっかじゃん(W

28 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:06
>>22
魏延の台詞と言うのは、
曹操の配下が10万の軍勢で来るなら、大王の為にこれを飲みこみましょう。
曹操自らが100万の軍勢で来るなら、大王の為にこれを防ぎましょう。

こんなんじゃなかったか?
劉備に助力を求めるような発言はしていなかったはずだが・・・
というかこれは男気があってカコイイ。

29 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:12
>>28
本当この就任演説(?)はかっこいい。
張飛だったらどんな演説になっていたことやら?
それと魏延が漢中太守になったときに採用した漢中防御策を
蜀は伝統的に守り、姜維がこれを止めてその後間もなく蜀は
魏に滅ぼされた話は有名?

30 :22:02/09/16 15:15
お答えいただいた方々、どうも。

やはり『正史』には存在するのか…。
自分の中での魏延の評価って、蜀にあっては指折りの前線指揮官、
なのだが…少なくとも、姜維よりは上だと思うし。

31 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:17
>>30
姜維との比較は荒れるもとだから置いておくとして、
益州平定・漢中奪取戦と着実に武功を積んで出世した
魏延は間違えなく名指揮官。
諸葛亮も魏延の人柄はともかく武勇を愛したらしい。

32 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:20
>>30
前線指揮官としての優劣をつけるなら(列伝が並んでいた五人+魏延)
関羽>魏延>黄忠≧馬超>張飛>趙雲

33 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 15:20
夷陵で将軍が全滅した蜀に残った唯一の上級将校かもしれん。
関羽・張飛・馬良・馬超・黄権他壊滅したからな

34 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:21
>>31
正直人格はどっちも問題ありだよな。

35 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:23
>>32
正直な話関羽については同僚のリョウ立が「ただ突撃するのみ」
と酷評しているのがどうもひっかかる。

36 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:24
>>29
姜維が漢中防御策を止めた事と蜀の滅亡は関係ない。
別に要因あり


37 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:25
>>29
漢城、楽城(だっけ?)による防御策?
孔明が整備したんじゃないの?
最終的には、兵士が少なすぎてそれを生かせなくなったからで、
姜維が駄目というわけではない。
無駄に兵を損耗したのは姜維の原因だけど。

38 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:25
>>33
趙雲は?

39 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:27
>>37
ん?
姜維は確か城を守るより、蜀の領土に魏軍を引き込んだ方が
打撃を与えられることを理由に防備体制を変えたような記憶が。

40 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:29
>>38
彼は戦力になるタイプの将軍ではない。


41 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:30
まぁ良くも悪くもシンプルな人間だったんだろ。
劉備に対する忠義も本物だったろうが、
後年はそれと同じレベルで我の強さや私怨が表に出たと。
武名にそぐわない対人関係の気遣いの不足が祟ったと言う意味では、
関羽、張飛に近い器だったのかもしれんね。

さっぱりまとまった趙雲と比べるのは、ちょっと筋違いかと。

42 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:30
>>39
漢中を保持しきれなくなって、秦嶺山脈以南に防衛線を下げた際の話?

43 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:33
>>41
関羽と近いイメージは強いな。
士卒を可愛がった点、傲慢だった点はクリソツ。
演義の外見描写に至ってはマンマ関羽だし(W

44 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 15:34
劉備が漢中に魏延を駐留させるなどして用意した防衛策を大勝が
得られないという理由で廃止したとか姜維伝に書いてある>漢中の防衛線

45 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:36
つまり魏延も立派な任侠武将だった訳だな。
任侠故に名を上げ、任侠故に身を滅ぼすと。粋だぜ魏延。

46 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:37
たたき上げの軍事専門家で
常在戦場状態であった蜀では発言力も強かったが、
後期に官僚制がそこそこに強くなってくると
文官に煙たがられて粛清されただけと思われ。


47 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:38
ごめん、漢・楽城は魏延が構築し、孔明が改修したとなってた。
で、防御策を変更したのは、段谷でケ艾に敗れて、
漢中の守備兵を北伐軍に組み込んだからとか。

48 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:39
>>44
あんたDQNのくせに、たまにはマシなこと言うねぇ!

49 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:40
諸葛亮死後しばらく蜀が北伐出来なかったのも
財政の立て直し等の事情もあるが、一つの要因として
魏延のような大軍を率いることのできる名指揮官が
いなくなったこともあると思う。

50 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:42
魏延が兵を損ねたという記述が見当たらないことからも
なかなかの名将だったと思われる。
魏書で名前が出てこないのが物足りないが。

51 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:43
>44と>47どっちがただしいん?


52 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:44
劉禅って人を見る目はあるよな。ヨウギとギエンが対立していることを知ると
和解させるために董允を使者に向かわせたし。

53 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:44
蜀の前線指揮官としては劉備が結構実績ある
最後に負けたせいで評価がた落ちだけど相手が悪かったとも言えるし
てか陸孫と1年以上対峙してる事はあまり語られないな

魏延が劉備に気に入られたのは自分の若い頃みたいだったからとか(妄想)

>39
263年のアレはわざとではないよ
漢中に魏軍をおびき出して袋叩きってのを献策して退けられたってのが過去にあったと思ったけど(退けたのは多分ヒイ)
民衆の事考えてねえよw

54 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 15:44
>>51
俺は姜維伝のみから引用してるから先主伝や諸葛亮伝には別の記述も
あるはず。

55 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:44
>>49
蜀の国力からいって、10万規模の外征軍は1つしか作れなくて、
それをずっと孔明が率いてたから仕方ないのかな。

56 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:47
文官肌と反りが合わないのはイメージ的に納得できるが、
正史の晩年には他の将兵とも呼吸が合ってなかったような
描写があるからなぁ。その辺りがちょっと残念だ。

王平に叱責されたり、味方の兵に逃亡されたりと、
最後の方の魏延は哀れを誘う・・・

57 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:50
ていうか、何故孔明は素直に魏延を大将軍の命じなかったんだ?

58 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:54
魏延が実権を握るのは、一足早く姜維が現れるようなもの。

59 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:55
>>57
そういうのは魏延だけじゃないぞ
李厳だって劉備に劉禅を任された一人だった
そういう意味では諸葛亮を含む3人は同格

ていうか劉禅が若くなかったら大将軍に任命したかもしれんが諸葛亮は皇帝以上だからなあ・・・

60 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:16
良く考えると孔明のポジションって、
ゲームや漫画によくある悪の宰相なんかと酷似してるな。

皇帝は操り人形で、全権を握ってて、政敵(?)は追い落とす・・・
その上、民の労働力をほとんど全て戦争に注いでた訳だ。

書き様によっては極悪人だよなぁ。
それにも関わらず神格化されてる諸葛亮・・・
敵に回したら分が悪いよ、可哀想な魏延タン・・・

61 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:25
多分、魏延は諸葛亮よりも戦争の采配はうまいでしょう。

北伐は5回諸葛亮はやったけど成功する可能性があったのは
1回目のみそれも魏延の提案した作戦を取ったらの話。

62 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:32
奇襲作戦が失敗して、魏延はその責任により斬首。




泣いて魏延を斬る。

63 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:34
その場合、諸葛亮は泣かないと思うがその点に関してはどうか。

64 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:43
バショクがへましてなきゃいけてたんと違う?

65 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 16:50
長安を攻め落とすのが限界だろう・・・

66 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:55
なして魏延を斬る?

67 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:57
というか、2回目以降の北伐を行ったのが
諸葛亮のおかしいところ。
もう勝つ見込みが無いことに気付かなかった
のだろうか?
そもそも、諸葛亮なんてのも所詮田舎に引き
篭もっていた学者みたいなものなんだし
そんな奴が軍師をやってるのもおかしいし
魏延みたいな将軍肌の人間としてはそんな奴の
言うことなんか聞きたくなかったろうし

68 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:01
>>67
魏延が権限を持っていたら第二次北伐は無かったのかと
小一時間問い詰めたい。

69 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:11
諸葛亮をいいものにしたいから、仲の悪かった魏延が必然的に悪者になったんだろうな・・・
可哀相に・・・

70 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:13
>68
魏延は第一北伐以降も度々長安奇襲を主張したらしいから、
権限持ったら断行していただろう。

71 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:17
馬幼常の失敗は大きかったな。
あれが上手く行けばよかったが、蓋を開ければ大失敗。
さぞかし魏延の孔明への軽蔑に拍車がかかったろうな。


72 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:19
>>68
魏延が権限を持っていたら第一次北伐のやり方が
変わっていたでしょう。
奇襲作戦により多分成功して長安を攻め落とすまでに
至ったのではないでしょうか?
その状態で魏と蜀に有利な条件で和平協定を結ぶなり
呉と同盟を結んで戦線を維持することは出来たんじゃない?
もしも失敗していたら、第二次北伐は無かったでしょう。
というか、魏延も処罰されたでしょうし、他に好戦的な奴も
いなかったし。


73 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:19
軍人が全権握ると荊州の関羽のような失敗を招くという
寸法か。

74 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:20


75 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 17:23
長安奇襲策自体成功の可能性が高いとは・・・
つーか長安維持する国力が無いな

76 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:29
>>75
第一次北伐を行った時期を考えると長安奇襲成功の可能性は
結構高いんじゃないのかな?
長安を取られたら流石に魏も焦るでしょう。
その状態でならば、かなり有利な条件で和平協定が結べると思います。
ただ、魏延がそのまま洛陽まで攻めるなんて考えなければ・・・

77 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:29
>75
成功するとしても第一北伐時点だな。
魏延が提唱したように孔明は長安以西を抑えれば
蜀は東方への防備を固めれば良くなるから。

78 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 17:30
>かなり有利な条件で和平協定が結べると思います。
これは流石に大日本帝國ばりの楽観論だと思うぞ・・・

79 :77:02/09/16 17:32
>76
魏延は長安奇襲を提案したとき、実行すれば長安以西が
蜀の領土に出来ると語っているから、さすがに洛陽までは
欲張っていないと思う。

80 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:34
>>78
まあ、流石に楽観論過ぎるかな?
でも諸葛亮の北伐にしても、長安を取るのが最初の目的
(それ以降も攻めるにしても)とするならば、魏延の
長安奇襲のほうが成功する確率は高いと思う。
諸葛亮の北伐は成功する確率はほぼ無し。
だらだらと戦争を長引かせて国力を疲弊させるばかりだろうな

81 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:39
蜀が長安を落とせば孫権も魏の弱みにつけこんで、
合肥を攻撃する可能性があり、そうすると魏も
混乱してたかも。

82 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:46
押し寄せる大軍を前に小勢では成す術もなく
城内では内通者が何時、内応するのかもわからない

83 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:49
俺が攻め込めば、防御しないで逃げていってくれる

つーか、これ、策というよりは、妄想じゃないか。

84 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:55
せめて希望的観測と言って下さい

85 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:56
北伐って機動防御的な策戦だってなんかで読んだことある。
孔明タンは長安取る気あったのかね?

86 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 18:01
取る気はあるだろうけど、先に涼州の占領すませて、
補給線を太くくしてからな。

87 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 18:03
どこかで魏の大軍と戦うのに
後ろが心細いでは話にならんからな。

88 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 18:06
と、言うことは魏延の策は長安とれても維持は難しい
ってことかな?

89 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 18:06
>>85
長安を奪取するというのは、政治的効果が大きいからだろう。
呉の北伐に対する意識への影響も考慮しているだろうし。

機動防御というのは、おそらく時間経過に伴う国力差の拡大から招く
魏の脅威を防ぐ意味合いの方が大きいのではないか?
諸葛亮ほどの現実家が、楽観的な憶測で北伐を繰り返すわけもなかろうし。
雍州を蚕食し、蜀本土への脅威を減少させるのが本旨だと思うが…。

…まぁ、あまりにも既出なんだが。

90 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 18:50
アンチ魏延必死だな(藁

91 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:13
アンチ魏延なんぞどこにもいないと思いますが何か?

魏延は魏延で、武将の立場からすれば正しい事を言っている。
長安を陥落できれば、魏蜀の差を一気に詰める事も出来た訳だから。
一方で全軍を預かる諸葛亮としては、
危ない橋をそうそう渡る訳にも行かない。
北伐自体がかなり無理をしてる訳だからな。
結果的に戦果を上げられなかった訳だから諸葛亮が
責められるのは致し方ないが、魏延だったら
戦果を残せたと言うのも、やっぱり根拠に欠けるだろ。

92 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:17
バショクが失敗しなきゃある程度はいけたんじゃなかろか。
散々ガイシュツだが。

ツーかあの時点ではかなり上手く言ってたんじゃなかろか。
だからバショクなんていうちょっとした冒険もデきたんでは。

93 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:22
北伐の話を始めると必ず馬謖に辿り着くよな・・・

94 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:29
蜀マンセー厨が集まるスレはここですか?

許猪>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>魏延
司馬懿>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>諸葛亮
曹操>>>>>>>>(決して越えられない壁)>>>>>>>劉備

95 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 19:33
許チョは軍司令官ではなかったはずだが・・・

96 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:34
許チョと魏延を比べる事自体に問題が…


97 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:35
寧ろ比較するなら張コウ

98 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:36
>>95
曹操の近衛隊長

99 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 19:37
>>98
それは知ってる、曹仁が礼儀正しく目通りを願っても曹操の元へ
通さないくらい忠実なんだよな

100 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:37
>>94
魏マンセー厨を装った煽りですか?
せめて張合βと比べておけば良かったのに・・・

101 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:39
武人として比べれば
典韋>>>>>>>許猪>>>>>>>>魏延
部隊長として比べれば
張遼>>>>>>>(決して越えられぬ壁)>>>魏延

102 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:40
孟達がコケた時点で北伐は失敗だったとかなんとか。
そりゃ新城ルート絶たれたら、ピストン運動にしかならんわな。
どっかの北伐小説でチラッと書かれてた。魏延主役の。


103 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:42
>>101
おお、なかなか良い煽りだな。しかし
典韋>許【ネ者】
なのはどういう根拠?


104 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:43
>>100
張合βと比べようが
張合β>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>魏延

結局、蜀郡には人材がいなかったから滅亡必至だった訳だ(w

105 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 19:45
肝心なのは煽りが張儁乂や張遼の功績を列挙できていないことだな

106 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:46
張飛≧魏延>張合β

107 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 19:49
張飛の実績は
長坂橋での一喝
蜀平定において連戦連勝する
漢中にて張儁乂を撃破
の三つか?

108 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:49
>>103
奇襲を受けた時、典韋は曹操を守る為、得意の戟なしで孤独に戦った
許【ネ者】 は各戦で活躍し義に厚かった。

それに比べて魏延は上司を信用しないし部下として最悪

109 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 19:56
典韋が戦闘した際は10人ほどの供回りと共に戦って戟もあった
許チョも護衛であって司令官ではない

それに対し魏延は護衛はできんだろうが軍司令官としては優秀

110 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:00
>>108
>それに比べて魏延は上司を信用しないし部下として最悪

魏延がらみの話でよく話題になるところだけど最初に喧嘩を売ったと言うか、不信感示したの孔明と魏延どっちなんだろうね?
孔明が不信感示したから魏延がヘソまげたのか、それとも魏延が反発的だから孔明は彼を信用しなかったのか?

111 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:03
歴史的資料だけを判断するならば、長安奇襲案を退けられてから
魏延は諸葛亮を「怯」と罵ったらしい。

112 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:05
仲悪くなったのは第一次北伐の結果だと思うな。
全て馬謖が悪いのです。

113 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:07
>>108
それだったら、武人としてじゃなくて忠義者として比べるべきじゃないのか?
とてもじゃないが、その理由だと魏延の武人としての器を問うてるとは思えない。

114 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:30
>>112
そうか?魏延は劉備に帰順するとき斬られかかってるぜ?
遺恨があるとすればそのころからだと思うぞ。
もしかしてこの話って演義だけの話?


115 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:37
韓玄周辺の話?
なら、思いっきり演義だけの話。


116 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:39
魏延の反骨は羅貫中の張った伏線。
さすがに主君に帰順して来た武将に対して初対面であれはない。
後々の不和の原因が魏延の気性にある事を
強調したかったんだと思われ。
しかしその性で演義の人格者孔明が、魏延に対してだけ
妙に辛く当たる変な奴になってしまったよな。


117 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:40
>>115
そうだったのか。無知ですまん。
回線切って吊ってくる。

118 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:42
>116
司馬懿ごと魏延を焼き殺そうとする孔明とか、演義は
却って孔明を貶めている面もある。

119 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:46
ちょっと遅くなったが、魏延の長安奇襲は
上手く行けばそうとう魏に対して衝撃を与えたんじゃないか?
呉だって長安奪取の報を聞けばそれなりに動くだろうし、
魏だって決して一枚岩では無かったような。

最も、それでも危険が高い大博打ではあるな。
が、その成否より政治的な意味で孔明も反対したのだろうが。

120 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:54
>119
魏延にしてみれば戦争で勝つには博打も必要だということに
なると思う。

121 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:58
>>121
そこで諸葛が大博打に出なかった事が、陳寿をして
「応変の将略はその長ずる所にあらざるか」
と評される一つの原因になったんだろうな。

122 :121:02/09/16 20:59
ミスった・・・>>119だった。スマソ。

123 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:01
>>120
本来だったら北伐も博打なのだが、
孔明にして見ればあまり本気じゃなかったのかもしれない。
北伐の意味が
孔明・・・デモンストレーション、実弾演習、屯田などの実験
魏延・・・本気
と認識の差があったのかもしれない。

124 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:05
>>119
長安はそう簡単には落ちません

125 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:06
あっ、でも馬超に簡単に落とされたから以外と逝けるかも

126 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:08
>125
攻込むルートが違うと言ってみるテスト。


127 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:08
115>117
何も吊るこたないがな。。。

ちなみに魏延が韓玄に仕えていたこと自体演義の話。

正史の彼は入蜀の際、軍功を挙げ取り立てられるまで劉備軍の
単なる一兵卒ですた。

128 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:13
荊州から蜀に入る際に部隊長(かなにか)として同行した、
とあったはずだから、
曹操への降伏に反対した荊州人士の一人だったんだろうな。

129 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 21:13
荊州の韓玄・金旋・趙範・劉度は降伏した、とだけ正史に記述がある


他に趙範は趙雲別伝に、金旋は三輔決録注に記述がある、金旋は議郎らしい

130 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:41
>>129
いわゆる弱小四君主だね(笑)
黄忠が一時期韓玄の下にいたのは間違いないようだから、
一時的に黄忠は曹操配下だったと言う事にもなる・・・

131 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 22:18
>>123
少なくとも第一次北伐は孔明も本気だったと思う。
第二次以降は出師の表を上奏していない(後出師の表は孔明の作で
はないという説が有力)ことからも、示威行動的要素が強いと
思うが。

132 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:22
そもそも、劉備が関羽の敵討ちに呉に攻めたのが間違い。
あの時、魏は跡継ぎ問題でごたごたしていた時期なんだから
あの段階で北伐をすればかなりうまくいっていたのに・・・

義兄弟とはいえ関羽ごときを殺された程度で怒って好機を
逃してしまうという劉備の器の小ささが魏を助けてしまったと
言っても過言ではないでしょう。
孔明も呉を攻めるのは反対していたみたいだけど、結局止めら
れなかったんだしな

133 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:25
>132
しかし、孔明が実際に呉攻めに反対している記述が
正史には見えない。賛成もしていないが。

134 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:29
>>132
荊州無しで北伐したところでたかが知れてる。
荊州を取り返すことは国家の急務だ。

135 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:31
>>134
個人的感情を殺せるのなら上庸を奪取し荊州北部を制圧した
方が良かったと思う。なんせ守ってるのはあの孟達だし。

136 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:35
何か必ず北伐の話になるね蜀関連スレって

137 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:36
>136
後半はそこしか語るトコねぇからな。

138 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:43
>>132
任侠武将である所の劉備としては国是うんぬんに関わらず、
兄弟仁義を守るのは当然。器のでかい、小さいではない。
それに、荊州の回復自体が蜀にとっての利益である事も確か。
孔明辺りにしても、劉備が直々に出陣すれば勝てると言う
目算もあったんじゃないか?
実際はぼろ負けして国が傾きかけてしまった訳だが・・・

139 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:45
人物的には義に厚いのは合格点だが一国の主としては落第点

140 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:47
>>138
孔明の天下三分の計も荊州を領有することが必須だった
訳だし。
このとき、漢中をがっちり守り魏につけいる隙を与えなかった
魏延の功績を忘れてはならないと思う。


141 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/16 23:47
孫権が関羽を襲撃したのに怒ったとあるが関羽の死に怒ったとは違うのでは?

142 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:52
関羽が死んで張飛が仇討ちしようとして殺され失意の内に劉備は死んだ

よく考えると悲惨な三兄弟だな

143 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:57
>>138
魏呉に劣るとはいえ蜀という一応の国家を統べる立場になった以上
私情で軍を動かすのはやってはいかんでしょう。
荊州の回復自体が蜀にとっての利益であるのは確かだけど、
荊州を取られた段階で呉と同盟を結ぶのが上策だったんじゃないのかな
荊州はもともと蜀を取ったら呉に返すという約束だったのに
それを無視し続けていた劉備が悪いわけだから取られても文句を
言われる筋合いは無い訳だし、その際にそこを守っていた武将を
殺されてしまったということで蜀も損害が出たが荊州を返すとい
う約束を無視し続けていた訳だからこれでおあいこという事で
協定を結べば、まぁお互い様という見方が出来るだろうし。

144 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:58
そんな机上の空論出されても…

その時の情勢とか内部事情とかあるだろうに。

145 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:01
>>143
君も2chなんか見てないで勉学や仕事に励むべきしょう

146 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:01
http://travel.teglet.co.jp/album/china_san/160.jpg

147 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:01
とはいえ、あの時 名目的には、呉は魏の属国だったから、
同盟を結ぶってのも何か変な話。

148 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:05
魏延の話から劉備の話になっていて参った

149 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:06
名目的とか実質的とかいう奴に限って(以下自粛)

>>147
いつの話?

150 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:08
>>147
別に変な話ではないような・・・

151 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:09
>>149
(・∀・)ニヤニヤ

152 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:10
>>149
( ´,_ゝ`)


153 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:11
>>151
こんな所で油売ってんなよ(w
物理板帰れ

154 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:14
損権とT野が居るスレ

155 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:15
>>153
スレ違いなのはすまぬが、物理板ってどういう意味だ。

156 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 00:17
www.btxx.cn.net/bjopera/images/0260.jpg

157 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 01:06
劉備東征には、荊州人士の要望があった説があるな。
東征出かけたの、荊州人多いし。

158 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/17 01:24
荊州閥としては荊州取り戻してもらいたいだろうからな

159 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 01:39
スレ違いだが、俺はやっぱり劉備と張飛に限っては、
関羽の仇討と言う思いが有ったんだろうと思うなぁ。
二人とも戦に逸って自滅したと言う印象があるし。
余りにも無様で無責任ではあるが、らしい死に方ではあったんだろう。
滅びの美学じゃないが、そう言うのは好きだ。

長年共に戦い続けた三人が一人の死をきっかけに続けざまに死んでいくってのは、
事実は小説よりも奇なり、を地で行くものを感じる。

160 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 01:42
何気に良スレ

161 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 02:46
>>159
まあだからこそ演義で主役になれたんだろうなこの3人


162 :1:02/09/17 02:58
>>161
いわゆる東洋的な血の熱さ、って感じですな。
そういう意味で、魏延は遅れてきた義兄弟みたいなもんかなあ。
だから劉備も魏延に肌が合うところがあって新参でありながらヒイキにした。
それが魏延自身の自負心を大きくさせ小さな関羽的人物にしてしまい、
孔明からしても扱いにくく文官たちからは妬みを買うような人物となる
原因となったと思う。

163 :ななし:02/09/17 03:19
うまく魏延にもってったな。

164 :1:02/09/17 03:19
劉備自身、勉強よりみんなで楽しく遊んでいるほうが好き、って人
なので関羽、張飛、魏延、簡雍など武侠や兵隊野郎やおもしろい奴が
気が合うしお気に入り。
劉備にとって、孔明などの生真面目な文官たちは国家に必要なものと
わかっていたけどある意味気づまりな存在だったと思う。
任侠集団から国家へと変わっていく中で、魏延の末路は遅れてきた者
の悲劇を示している。

165 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 18:49
あーいう弔い合戦みたいなことやらかしてしまうからこそ任侠武将が集まったのかも知れんしなあ

166 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 21:52
なんかイメージに合わないが趙雲なんかも任侠だったんだろうか。

167 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 23:17
任侠って言葉は僕には難しいのでヤクザに置き換えてもいいですか?

168 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 23:28
>>167
まあよかろう(w

169 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 23:29
じゃあ、劉備に気に入られた法正なんかはインテリ893ってとこか。
そういや、高い地位についてから随分と893な事やってるよな(w

170 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 23:29
趙雲は清廉潔白なイメージが強すぎて仁侠って感じはしないけど・・・
でも実際はそうだったのかも。
劉備の側近、懐刀みたないな。

171 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 23:40
北伐は、
魏の蜀侵攻に対する牽制
蜀という国の漢再興というスローガンのためのデモンストレーションだと思う。

あと誰かの本で北伐は人間狩りが目的だった、
という記述のがあってちょっと新鮮に思った。

172 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 02:01
>>167
任侠じゃなくて武侠だ、馬鹿者
武侠がどういうものか知りたければ映画「グリーン・ディスティニー」見よ

173 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 02:18
>>172
正しくは、放浪期の劉備の軍団のあり方を指して、判りやすくイメージ
するための表現として「任侠(的)集団」と言い、
関羽や趙雲、許チョ、呉将では甘ネイがあてはまるのかな、といった
武芸に優れ仲間同士の信義を重んじ(いい人という意味ではない)
武装商人や傭兵、ボディガード、場合によっては盗賊などを職業に
していた人たちを中国では「武侠」と呼ぶ
プライドと名声が彼らの「売り」なので、契約したらそれを
絶対に守るという暗黙の掟のようなものがあり、そのために
趙雲や許チョのように一度忠誠をささげた(=契約した)
有力者の親衛隊の役割を任されることも当時はよくあったわけだ

174 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 07:54
任侠だか仁侠だか武侠だか知らんがヤクザでええやん


175 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 09:55
理想としてのヤクザ
史記にも列伝があるんで読んでみては?

176 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 14:43
悪いヤクザじゃなくて良いヤクザね。
高倉健の映画のような。

177 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 14:50
とにかく、現代社会での「任侠映画」における「任侠」とは、同義ではない
ということは、たしか。

まぁ、『史記』の「任侠列伝」を読むことを奨める。

178 :魏延党下っ端:02/09/18 16:14
魏延に関しては↑で言ってる様に、
諸葛亮との人間関係を取り出すのが多いな。
もしくは漢中太守としての実績、北伐奇襲案といったところだろう。

既出だが、第一次北伐で魏延の奇襲策が退けられたとは言え
馬幼常の失敗が無ければあそこまでの文句は言わなかった、
というのには納得できる。

しかし、上の方で言っていたが
諸葛亮・李厳・魏延の三人の重鎮はそれぞれで仲が悪かったような気がする。
こんな連中を統合できるのは、それこそ曹操か劉備でもなきゃ無理だろう。
年若い劉禅にこんなのを求めるのは酷だと思う。
ましてや、諸葛亮が全権を握っているんだから分裂必至だったと思うんだが
そのへんどうよ?

179 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 17:03
ヘタに長安奇襲して(維持できなくても)一度は陥としたってコトになると
魏延がますます孔明のいうこときかなくなりそうだから却下したの?

戦術云々より内政・権力争いだなあ

180 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 17:17
どうも、孔明が絡んだ話になると、
演義のイメージと正史のイメージのギャップを前提に
話が進んでる感じがするな。

孔明、李厳、魏延の三人が重鎮、と言うのがまずどう言う根拠があるのか
ちょっと良く分からないんだが・・・

俺の不確かな記憶では、正史で劉備が死後を託したのは
間違い無く孔明その人で、李厳はその補佐と言う立場だったはず。
魏延に到っては、武官では最高クラスの実力者だった事は
確かだと思うが、劉備の死に際してどうだという話は無かったと思う。

ついでに、孔明と魏延の不仲は演義のイメージに引っ張られている感があるし、
孔明と李厳の関係を言えば、後代の想像に頼る部分がかなり大きくないか?

孔明が最高権力者で、李厳や魏延はその下というのは
形式としては何も間違っていないと思うんだが。
なにせ記憶が定かでないので、間違いがあったら訂正してくれい。

181 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 17:31
>>179
維持できないってことは、本隊含めて、
あぼーんしてる可能性が高いと思う

182 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 21:24
>孔明、李厳、魏延の三人が重鎮、と言うのがまずどう言う根拠があるのか
>ちょっと良く分からないんだが・・・

じゅうちん ぢゆう― 【重鎮】
ある団体・社会などで重きをなす人物。大立て者。「法曹界の―」

別に間違った使い方ではないと思うけど。


183 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 22:17
>>182
180だが、それは言葉の意味としては理解してるんだよ。
ただ、分裂して争うような事ができるほど同列の位置にいたとは
思えなかったので、並べて重鎮、とするのも変じゃないかなと思ったんだ。
その上で、それぞれの仲が悪かったと言うのも
後の人間の考えではないかなぁ、と言う事。

もちろん、人間関係のごたごたや派閥争いがなかったとは
言わないが。魏延の場合なんかは、むしろ楊儀との確執が
最後の自爆の主な原因だと思うんだけどな。
それが諸葛亮の采配ミスだと言うのであれば、それは間違ってない気もする。

184 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 22:42
要は孔明、李厳、魏延の三人が同等の権力や重みを持っていたとは
思えないって事かな?

人間関係については同意だな。
考えて見れば、実戦派の魏延と軍政のプロ楊儀は
能力だけを考えて見れば最高のタッグなんだよな。
孔明が惜しがったのも分るよ。

185 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:02
>>183
「楊儀との確執」っていうのは演義の影響でしょ。
楊儀個人というより孔明を含めた文官全員が真相に近い。

前述の何人かが書いているように、実践たたき上げの武将であるが故に
文官全般を見下すような雰囲気があり、辛うじて孔明だけが文・武官
両方のトップである丞相の地位であるがゆえに魏延を押さえることが
できました。
しかし孔明の死後、楊儀や費イたち文官は自分たちでは魏延を抑えることは
できないと感じており、また魏延自身も孔明亡き後、蜀を負って立つのは
自分しかいないと自負していたため、文官たちが先手を打って魏延を謀反者に
仕立て上げ誅殺しました。
魏延には直接謀反に結びつくような言動は全くなかったか、あるいは
魏延の行ったささいな行為を文官側で誇張し罪に陥れた、と言われて
います。
ただし、それは魏延が全権を握った場合に予想される危険な事態を
未然に防ぐ必要な処置であったとの認識が当時の蜀の知識人(=文官寄り)
にあったため、正史においても「文官からの讒言」とは書かれず、
演義においてはむしろ積極的に謀反人に仕立て上げたというのが
本場・中国での歴史研究においても主流の解釈です。

186 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:10
なるほど。
中国(というか世界共通か?)の文官・武官の争いの敗者なわけか。
とくに中国は文を武の上位に置くため、魏延のように実践たたき上げで
教養はないが実力はあるという武将には陥りやすい悲劇だな。

187 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:12
>>185
横レスになっちまうが、
魏延と楊儀の確執は正史にもしっかり書いてあるぞ。
まずは孔明が死んだ後の二人の権力争いが主因だと思われ。
互いに相手が権力を握ったらどうなるか分からないから
両者共に行動を起こしたが、文官連中に支持されなかった
魏延が誅殺されたんではなかろうか。
その楊儀も後に嫌われて庶民に落とされてるしな。

188 :旛起於将軍:02/09/18 23:17
あの、馬超将軍も史実では夷陵でくたばりましたんですか?
馬良は戦死したのは知っているが

189 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:28
文官、という言葉を使うからややこしくなる。
中華帝国では国を運営できる教養をもった士大夫・名士層が政権を執る。
っていうかそうじゃないと国が動かない。大司馬、大将軍のようなポス
トも大抵は彼らが就く。武官というのはその下の一機構。楊儀と争って
まで軍権を手にしようとした魏延が彼らに嫌われたのは自然な結果。
もっと政治向きの努力をする人物であれば結果は違ったのだろうが……。

190 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/18 23:58
>>188
病死

191 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:00
ってことは魏延が橋を落してまわったってのは嘘なのか?

192 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 01:41
武官、文官ってな分け方の方が光栄世代なんかには分かりやすいだろ。
言ってる事がそう的外れな訳でもないようだし。
叩き上げの将軍と、名士層の文官連中に軋轢が有り、
孔明の死後、魏延と楊儀の対立をきっかけにそれが表面化したって事で。

しかし能力のある者同士が相性最悪で、それでも使わざるをえない
ってのは悪い冗談だよな。

193 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 01:44
桟道を焼いたのは史実にあるよ
尚、漏れは楊儀暗殺説を信じている

そういえば諸葛亮の後を継いだのが魏延で周りがそれを支持しなかったっていう説があるよな
魏略かなんかで
引用している本人も「これは出鱈目」とか言って一蹴してるけどわざわざ載せてるって事は・・・

194 :魏延党下っ端:02/09/19 11:12
>193
正史注釈だと、魏延が継いだか否かは「問題にする価値なし」と切り捨てている
ここが最も重要だと思うのだが・・・

195 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 11:49
魏延は劉備に信頼されていた将軍の1人だと思う。
武勲的にも将帥ぶりにも、何ら問題ない。
蜀の重鎮であったのは確か。

重鎮であればこそ蜀政権の中で「派閥」を形成していたのだろう。
そして諸葛亮も重鎮であったので派閥を形成していた。

結局、劉備が死んだ後の騒ぎは、諸葛亮派と魏延派による権力闘争で
あったと捉えるのが自然。

逆に言えば、この2派が蜀の政権運営を争うことになったのは、両派が
蜀において最大派閥であったがゆえだろう。

もちろん魏延が権力を握れば専横した可能性も否定はできないが、それは
未知数であり、国を滅ぼすクーデターというより純粋な国内闘争であった
のだう。


196 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 11:51

うわ!ごめん

孔明が死んだ後ね・・・・・・・まちがえた

197 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 12:19
>>195 魏延派ってあったのか? ひょっとして馬岱?

198 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 12:31
ないだろ。
北伐派という意味では孔明と相通じるところはあったのにね。

199 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 12:46
北伐派といえば蜀の連中はみんな北伐派だろ。
そうでなきゃ蜀の存在意義が危うい。

200 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 12:51
少なくとも孔明死後はそうでもないよ。
積極的北伐派と消極的北伐派なのかもしれんけど。

201 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 15:21
魏延派と呼べるほどのものは無かったと思われ。
武官の中でも王平と馬岱は明確に魏延の敵に回ってるし、
結局は魏延一人が孤立した形になってたんじゃないか?

魏延と楊儀がもちょっと仲良くしてれば、
諸葛亮ももう少し長生きできたかもしれんのになー。

202 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 16:20
魏延が蝋燭を踏み消さなかったら

203 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 16:36
あ〜、そうだな。もう少しで儀式が終わって寿命が延びたのにな(w
まぁそれも有りか。

204 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 21:47
何気に良スレ
「趙雲って実のところどうなの?」よりは質が高いのは
光栄系趙雲厨がいないからかな

205 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 22:02
魏延は勲功と欠点がはっきり分かってるからな。
趙雲のように推量や妄想の入り込む余地が少ないんで、
分かってる香具師だけが集まってくるんだろ。
場所的にアンチもあんまりいないと思うし。
その分、食いつきは良くないかな?


206 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 22:08
趙雲だと別伝で色々出てくるが
魏延だと謀反関連と長安電撃作戦くらいしかネタがないきもする。

207 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 23:20
荊州時代の魏延についてあれこれ考えて楽しむのが魏延マニアの有るべき姿。

208 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 23:36
>>205
妄想が膨らまない点で、ある意味では蜀っぽくないかもな。
演義で減点食らってるあたりもそうだけど、
何気に魏呉の武将の話をしているような感覚もある。

209 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 08:25
>>207
劉備に仕える以前の魏延って何してたんだろう?
(演義系魏延の解説はイラン)

210 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 12:54
魏延の小説とかって無いのかなー?
出身地は新野のすぐそばなんだよね。

211 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 14:25
>209
紳々,竜々みたいな兵隊さんじゃないっけ? で、抜擢された〜、と。
北伐以前(先主存命の間)は劉備マンセーだったかは兎も角
反骨だの問題行動いうのは記憶にないんで

212 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 15:45
当時蜀の人口は80万人くらいだっけ?そうすると男は40万人だから
昔のピラミッド型人口分布で考えると動員兵力は最大どのくらいに
なるのかしら?
15万いくかなあ?

213 :魏延党下っ端:02/09/20 15:58
>210
そう、荊州は義陽郡の生まれだ
ちなみにトウ芝やトウガイも同郷

>211
その通り、初め一兵卒から、益州攻略戦で牙門将に任じられたんだ

>212
動員兵力は10万未満だったはずだと思うが…

214 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 19:07
>>212
小説などでは15万を軽く上回ったりしているけど、
実際は10万動かすのもきつかったと思う。
せいぜい8万前後だったのではないかなぁ。

215 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 21:22
仮に実働10万以下として、
魏延の要求した別働隊1万と言うのは多いんだろうか、少ないんだろうか。


216 :正史研究家:02/09/20 21:53
魏延はいわば叩き上げの軍人であり、関張亡き後の蜀漢の人材不足の為少しばかり
名将に見えた程度の人物である。彼を名将に見えるような軍略を展開した諸葛亮こそ
偉大である。子午道経由で長安を奇襲する等魏で無警戒のハズがなく蜀漢を危険な
状況に陥らせる作戦に過ぎず、魏延に疎まれてもそれを実行させなかった諸葛亮の
意思こそ褒め称えるべきである。魏延は匹夫の勇の持主である。

217 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 21:58
魏延って諸葛亮の下では何も活躍してないよな(w

218 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:00
正史研究家が来ると、同じ主張を持った人間が不利になる。

219 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:02
>>216
自論を展開するのは結構だが「〜である」と断定するのはどうかと思われ

220 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:03
軍人を指して匹夫の勇と罵るは、所詮小説レベルの知識よの

221 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:03
>彼を名将に見えるような軍略を展開した諸葛亮こそ
魏延伝読んでないな

222 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:05
一次北伐で五万って言われてなかったっけ?(ソース忘れた…) 二次以降は
もっと少なかっただろう。10年で五度の遠征ではそれが限界だろうと思う。
曹操でさえ、10万前後かそれ以上を動員したと思われるのは、官渡・荊州・漢中
くらいしかないわけだから。

>彼を名将に見えるような軍略
ぶっちゃけた話、そんな劇的な展開は北伐にほとんどないじゃん…。
諸葛亮が古来称えられるのは、丞相と兼任した上で動員・遠征をやってのけた
軍政能力と人心掌握にある。

223 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:08
>212

当時の人口っつのは、国家が徴税対象として把握できる数、ってことだから、人口の総数とは
ひどく隔たりがある。よく、後漢と三国時代の人口の激減を指摘して、大動乱だったというヤシが
いるが、それは多分に流民化、非課税戸化した者が多かったせいで・・

224 :正史研究家:02/09/20 22:11
>221
魏延を蜀漢が有利な状況で郭ワイと戦わせ勝利を得させるなどして
魏延が名将であるかのイメージを自軍に受け付け勇気を持たせた諸葛亮の
手腕は誉めてしかるべきである。諸葛亮も魏延の偏狭な性格に頭を
悩ませながらも武勇を愛して魏延を蜀漢にとって最大限に力を発揮させたのは
賞賛すべきだ。私は魏延伝を100回以上読んでいるが陳寿が彼を評して身から出た
錆びで死んだと述べているのは的を射ている。

225 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:14
魏延がいつ郭淮と戦闘したの?

226 :正史研究家:02/09/20 22:17
>225
正史をよく読むことをお勧めする。陽ケイで戦闘し魏延が大いに
郭淮を破ったとある。私は忙しいのでこれ以上の説明は割愛したい。

227 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:18
正史研究家の押し付けがましくて主観入りまくりな説よりも
>>222の淡々とした文章の方がより諸葛亮の凄さが伝わってくるよ

228 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:22
>正史研究家
ああ、つまり。
先帝の元で武勲を立て督漢中歴を持ち、諸葛亮が丞相司馬・涼州刺史に任命した
殆ど『軍事の片腕』ともいえる武将が、実は匹夫だったというほど蜀漢の人材は
枯渇していたと。

身から出た錆びは同意ではあるが、匹夫と野心家をイコールで結ぶのは短絡的や
すぎないか。姜維はどうなる?

229 :正史研究家:02/09/20 22:24
>222
丞相は兼任ではなくいわば文武両面の全ての実権を握る
国政の最高責任者のことである。諸葛亮は大掛かりな軍事行動を
小国の蜀漢で実行した。多大な軍事費の支出は国民の税金で捻出される
ものである。重税であったことは想像に難くない。それでも民に怨嗟なく、
寧ろ愛された諸葛亮は中国のみならず東洋最高の人物である。いささか
軍事に長けた魏延等小粒な人物に過ぎない。

230 :正史研究家:02/09/20 22:27
>228
姜維については諸葛亮が「涼州一の人物で馬良以上」という評価がある。
劉禅に拝謁する栄誉を与えてやりたいと蒋エンに語る等見所のある人物であった。
惜しむらくは陳寿が評しているように文武に多少優れていることに自惚れ
軍事行動を多発し国家財政を逼迫させた点であろう。

231 :郭図公則 ◆2getuhmE :02/09/20 22:28
姜維は蜀贔屓を尽くして正史を書いた陳寿にも殆ど弁護の余地を与えない
くらいだからな、孫盛はおろか裴松之にも非難されてるし。

そういえば、劉備・諸葛亮等が整備し王平等が運用した防衛線を
大勝利は掴めないからと言う理由で廃止したり無謀な北伐で
兵を失いそれが原因で戦線を下げる嵌めになったり。

内に黄皓・外に姜維、終わってるな・・・

232 :正史研究家:02/09/20 22:30
魏延のばーか

233 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 22:31
>232
激しくワロタ

234 :222:02/09/20 22:34
>>229
……いやさ、大仰な賛美調子以外はだいたい同意だけどさ。
単純な話、貴方がいくら魏延を小粒と思おうが、魏延が居なくなれば
諸葛亮にはその代役はできないんだよ? おそらくは当時の蜀他の誰
にも、だ。仮にも歴史に名を残す人物を、幾らでも代えが利くような
木っ端呼ばわりするのはやめてくれ。
「諸葛亮は所詮書生、魏延に北伐総司令官をやらせればよかった」
みたいな妄言の、正逆を言ってるだけじゃないか?

235 :正史研究家:02/09/20 22:37
魏延ウンコ。諸葛亮マンセー。

236 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 23:05
>>232>>235の露骨な偽者ぶりに笑った。
しかし正史研究家はどこにでも現れるんだな。
お帰りの際にはお決まりの捨て台詞を頼むよ(藁

237 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 23:12
>230
あの当時は儒教だかが強くて
親を故郷に残して下った姜維に対する嫌悪感が強かったんでは?

238 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 23:20
裴松之は別に姜維を非難してはいなかった気がするが、
漏れが忘れちまっただけかな?不孝者とだけは書いてあったと思うが。

239 :222:02/09/20 23:43
裴松之は、孫盛の強い非難の言を引用した上で反論し、
「非難するならば、ただ母に背いたことだけを」
と言っている。まあ庇ってるね。

それから史書やその注とは、後世への記録と同等かそれ以上に、同時代人への
資料、議論材料の提供という目的が強いように見える。
裴松之の注がしばしば信憑性の低い説を取り上げた上で反論しているのは、見境
ないのではなく、裴松之の時代にそのような「邪説」が語られていて、彼は注釈
という形で彼の意見を述べている。注釈とは本来そのような目的で書かれるもの。
なように私は読んだ。まぁ、三ヶ月の素人意見だけど。

240 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 00:21
姜維はミニ魏延と言う感じがする。魏延もミニ関羽と言う感じが少しする。

241 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 06:21
>>正史研究家
バカじゃないの?正史研究家とか言いながらバリバリ演義のイメージに
毒されてるジャンw

>魏延は匹夫の勇の持主である
それは演義や演義系小説で作られたイメージに過ぎない。
机上で軍略を学び冒険的なやり方を好まない慎重な理論派と、現場からの
叩き上げで自分の勘によって動く実践派の戦略・戦術論の単なる違いに
過ぎない。
魏延の案は「よりリスクが高い」というだけで「匹夫の勇の猪突猛進」とは
まるで意味が違う。

戦いの場においては常に何パターンもの選択肢があり、結果論によってのみ
その選択の評価は行われる。
孔明の策にもリスクは含まれており、未熟な馬ショク採用と街亭固守という
2つの「冒険的策」は失敗した。
つまり結果論からいけば、孔明の策のほうが下策であったのであり、行われて
いない魏延の策の評価は未定である。
高いリスクを含みながら成功した戦いは、歴史上いくらでもある。
リスクが高い策が全て「匹夫の勇」になるのなら、トウガイの対蜀戦は
どうなる?
孔明は「天下三分」のビジョンを示した優れた政治家であって、戦略家としては
大したことなかったというのは、陳寿も含めて後世で一般的な評価だ。
入蜀や漢中争奪の参謀は法正であり、南方平定は馬忠や李カイらの功績であり、
荊州を失い北伐にことごとく失敗したのが孔明の戦略家としての実績だ。
軍事において孔明が魏延に勝っていたかどうかは別として、孔明の軍事に
おける能力がどんなものかは上記の実績で明らかだろう。
(勘違いするなよ、正史研究家くん。そもそも魏延と孔明どっちが優れて
いるかなんて誰も書いていないし、もちろんオレも書いていない)


242 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 06:33
教科書を復唱する様な書き込みはしなくていいよ

243 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 06:36
>>242は正史研究家のジサクジエン

244 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 07:25
魏延の長安奇襲作戦を用いれば、長安は落とせるかもしれないが、街亭方面で成功
しない限り、兵員や物資の補給が難しいため、長安を奪い返られる可能性も高い。
もし諸葛亮がその作戦を採用し、長安を落とせたとして、
街亭でも成功した場合、それは問題ない。しかし、もし街亭では失敗し、
まだは成功したが間に合わなく長安が奪い返られた場合、長安での攻防はまったく
の無意味になる上、魏延は「おれの作戦は間違っていない、街亭での失敗のせいだ」
と言って伸し上がることも在り得る。これは勝手な推断だが、
諸葛亮はこのような可能性もリスクの一つとして考えて作戦を却下したのでは?
または、長安維持には街亭での勝利が必要なら、街亭でさえ勝ってればわざわざ
色んなリスクを含む魏延の作戦を実行する必要がないと思ったかもしれない。

245 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 07:48
>>244
作戦によって戦略拠点は変わるわけで、長安獲れれば張コウらは
長安奪回に向かうので街亭は必要ないと思いますが。
まあどちらにせよ、孔明は失敗したのであり、>>241の言うとおり
戦いは結果、ということであれば魏延の策への反証にはならないと
思います。


246 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 08:32
兵力5万とか8万とか出てるようだけど、
とにかく10万以下はほとんど確実なんだよね?

その中の1万が壊滅でもしたら洒落にならないような気が
するんだけど、実際どうなの?
ゲームなんかだとそのくらい簡単に死ぬけど、
現実的にはかなりやばい数字なのかな。

247 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 09:11
まあまあ電波コテは放置しようぜ

248 :正史研究家:02/09/21 09:26
232、235は私ではありません。それにしても、相手の誹謗中傷と乱暴な書き込み。
ここはひどい掲示板ですね。真面目な議論をされる方もいるようなので私は近々新しい
スレッドを立てるつもりですがここにはもう来ません。さよなら。

249 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 10:15
>>248
誹謗中傷ってどれが?
もしかして>>241に指摘されたこと?
オレ>>241の言うとおり、あんたのほうが勘違いしているし、演義に
毒されていると思うぞ?

250 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 10:18
>>249
禿同だな

>>248
おまえのような演義厨・孔明厨はいらん
二度と来るな

251 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 10:24
前の方で任侠話してたけど、
陳宮とかはわりと任侠系な人だと思う
なんか関羽とか張飛とか許ちょとかヴァカばっか例にされてたんで一応

252 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 10:30
正史研究家…って、何気に恥ずかしいコテハンだなぁ。

253 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 10:52
>>177

『史記』にあるのは「游侠列伝」じゃろ?

254 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 11:56
>>248
出たな、もうここには来ません(w
意見を異にする香具師との議論は無意味だからな(藁
もう他のスレの住人に迷惑を掛けるんじゃないぞ。


255 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 12:10
無知でスマソ
長安は落とせたかもしれないという前提があるみたいだけど、なぜ?
実は備えがあって孔明は攻められなかっただけだとか言うことはないの?

256 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 12:15
いや、長安は落とせたかもしれない、と言う程度の前提が無いと
話をする意味がないからね。
実際、長安を落とせる保証は無いし、
(魏延の献策は、かなり大雑把で楽観的ではある)
1万が3万でも無理だったかもしれないが、
それでは諸葛亮が正しかったです、で終わっちゃうから。

その諸葛亮も馬謖を使って結果的に失敗したわけで・・・
ifにやりきれない妄想を託しているとでも思ってくれ(苦藁

257 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 12:58
諸葛亮は劉巴等文官を見る眼はあったが武官を評価することが・・・

258 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 15:35
>>257
魏延は多いに評価されてます。

259 :正史研究家:02/09/21 21:34
>257
そんなことはありません。王平については街亭で馬謖が命に背いて敗北した際も
兵の損害を最小限に食い止めたことを評価して彼を誉めたとあります。
諸葛亮の人材を見る目については「楊供伝」でも褒め称えられています。

260 :双極滅☆くん:02/09/21 21:54
 いやいや。やっぱり、軍人を見る目は劉備が優れていたらしいぞ。
漢中攻略でも、劉備は夏侯淵よりも張コウをおそれた、と図書館からもらった
本にかいてあった。劉備が益徳をさしおいて文長を漢中においたのも、
なんらかのみどころを感じたにちがいなかろう。まあ、書く必要もなかったかな?

>>212〜215、246
 資料によると、231年時点での、蜀の人口は98万人、うち兵士は焼く10万
で、呉の人口は230万人、兵士は22万人だったらしい。
 なんにせよ、人口の10%前後が動員数の限界だったらしい。

261 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:01
図書館からもらった

もっらたと盗ったは違います。

262 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:02
>>259
馬謖・姜維と北伐失敗・蜀滅亡の立役者

263 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:23
>>259
もう来ないんじゃねえのかよ(・∀・)カエレ!

264 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:41
姜維を滅亡の原因扱いするのは可哀想な気もするが・・・
まぁ無理な仕事はするなって教訓か。

265 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:43
>>255
リスクは高いけど長安奪取が不可能だったことを完璧に証明する根拠はないし、
過去に冒険的軍事作戦が成功した例はいくらでもある。
(三国志で言えば>>241が挙げているケ艾の蜀侵攻戦ね)
そもそも不可能論をあげる人の最終的根拠は、結局「孔明は常に正しい」
「魏延はおバカさん」という演義のイメージでしかない。
もちろん絶対可能だと言うことではなく、あくまでも可能性の話。
ちなみに中国軍では過去の歴史的な軍事作戦について研究を行っていますが、
魏延の長安侵攻については空論ではなく成功の可能性はそれなりにあったと
評価されています。
日本でも刊行してくれないかなあ、研究資料。
旧日本軍の関が原合戦などの研究資料は確か文庫本で出てましたよね。

>>260
変だよ、あんたの理論。それは、王平が結果を出した後のことでしょうが。
成果を出してからほめるのは、人を見る目ない人間だってできますよ。
もし、見る目があるなら馬謖を主将にするわけがないでしょ。
それに「二度とこない」とか言って未練たらしく出てくるなよw。

>>260
劉備は苦労人だし、「天・地・人」のうち「人」によって生き延びてきた男
から、人を見る目が優れているのは間違いないよ。

266 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:44

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             (
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        ゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._  .、)  、}
        ".¨ー=v ''‐ .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
       /i;i; '',',;;;_~υ⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ
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       ヾ,,..;::;;;::,;,::;):;:;:; .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
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267 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 23:12
>>266
このスレは別に糞スレという水準じゃないし、ある人物を除けばこのスレの
流れは特に問題なし
敢えてここにこんなカキコをする必然性があるのは、正史研究家というのが
バレバレ
カコワル〜イ

268 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 23:19
>>268
最悪だな正史研究家。
コテハンからして、わざわざ正史を強調して自分が厨房でないことを
示そうとする幼稚な自己顕示行為からして厨房なのは明らか。
反論されると、「中傷された」「二度と来ない」と言いながら
のこのこ現れ、また反論されるとこんな嫌がらせかよ!

269 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 23:31
やっぱり魏延を独走させないように、抑えられる軍人がいなかったからかな?
関羽や張飛の死が惜しまれるな。

ちなみに俺は長安急襲は十分、成功の見込みは合ったと思う。
まあ柘植先生みたいに「モルトケに勝るとも劣らぬ」ってのは誉めすぎだと思うけどさ。
想像ですまないが、あそこまで言うからにはそれなりに情報収集や調略なんか
やってたんじゃないの?

270 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 23:46
>251
なるほど陳Qは任侠ノリの国士だったろうね、ちょいおばかさんだけど憐れむ可し
張バクとつるんでた辺りはいいんだが、何故呂布なんぞに・・・


劉備一党は「一宿一飯」や「意気に感じ」て体を張るって感覚が、強いと思う
孟徳しゃんだと典偉や許チョですら身辺には近寄らせないが
関張や趙雲は添い伏し(=おホモ達?)してたっていうもなー

271 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 00:04
けっこう武侠について話したい人が多いみたいね。
まあ魏延も悪い気はせんだろう。彼自身にも侠に対する憧れがあっただろうし。

272 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 00:40
>>269
>>265が書いている通り、軍事の専門家が「可能性アリ」と判断している
のだから不可能ではなかったのでしょうね
孔明自身がインテリ・エリート層の名士であり劉巴ほどではないにせよ、
現場叩き上げの軍人に偏見があったのだろうし、人心掌握のために荊州や
益州の士大夫や名士、豪族を優遇したために現場の不満があったのは
想像に難くない
関羽が名族の末裔・馬超のいだいた競争心や張飛の劉巴への怒り、長年仕えても
ケ芝・馬謖のような実績の少ない士大夫系武将と同一の扱いを受けていた趙雲、
その若造・馬謖の副将にされた王平、そして劉備から大抜擢を受けるほどの
実力がありながら軍事下手の孔明に頭を抑え続けられた魏延

組織におけるこの構図は今の世界も変わらない
背広組と制服組、本社と現場、キャリアとノンキャリア・・・
みんなも教養を身につけて勝ち組になろうぜw

273 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 00:48
オレ、専門学校卒のエンジニアなんだけどさ
バカな大卒の奴らより仕事はオレのほうが良くできるのに、
給料少ない・・・
張飛や魏延たちの気持ち、ちょっとワカる気がする

274 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 00:50
そこでブーブーいっちまうのが関羽や魏延達で
文句言わず黙々と働きつづけるのが馬岱や趙雲なんだろか。

275 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 01:22
>>272
扱い悪くても現場で働く人に憧れる漏れは世間知らずなのかもしれんが
でも>>273-274見て、なんか漏れの中で趙雲に対する嫌悪感が消えていきますた

276 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 01:29
しかし突き詰めて言えば、魏延が士大夫でなかった訳はないだろうし、
趙雲は一族を率いて公孫サンに味方して歓迎されている。地縁なども絡むと、
複雑で難しい話題だね。
魏延は別働隊による長安奇襲策が毎回受け入れられなかったという点(だけ)
を見て諸葛亮と不協和音ばかりが取り上げられるが……。
現実、北伐軍を運用するにあたって丞相諸葛亮・前軍師魏延という噛み合わせは
三国志全体でも珍しいほどの良コンビだと思うんだけどなー。

277 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 03:16
>269
関羽、張飛が生きてたらって・・・・(汗
魏延の短所を数倍伸ばしたような関羽と比べれば魏延は良く諸葛亮の命令に従ったと思う
生きてたら・・・したがわなさそうw


一番惜しいのは劉備の死だね

278 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 03:23
そうだな、例え関羽・張飛あたりが生きててもドンである劉備じゃなけりゃ従いそうに無いし・・・
劉禅の手前一応従うかもしれないけどやはりギスギスしそうだなあ。

279 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 06:11
魏延も劉備が生きてたら従順な将だったかも

280 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 08:53
>>276
士大夫の意味わかってる?
文化的なサロンに出入りする高い教養がある名士や豪族たちのことで、
兵隊あがりの魏延は士大夫じゃないよ。
士大夫系武将としては、孫乾(成都の武侯祀で武官の席次2位なのは
古参という以外に元々名士であることも起因している)、黄忠、
馬超・馬岱、李厳、孟達、黄権、呉懿・呉班、向朗・向寵、馬良・馬謖兄弟
などなど、徐荊益州の豪族出身者や世間に名を知られた名士たちで、
すでに地方で名があり魏政府に推挙されていた姜維もこちらに入ります。
そして法正、費?や楊儀、ケ芝、蒋?、劉巴ら文官たちも士大夫系が
ほとんど。
というか非士大夫系文官の場合、よほど学問を積んで名を挙げないと
小役人で一生を終わるハメになります。

張飛、魏延、王平は間違いなく士大夫ではなく、教養があっても関羽は
武装商人兼侠客という氏素性からみて非士大夫系。
趙雲も武侠として地方では多少名前の知れていただけで、いわゆる
名士・豪族ではありません。
王平は非士大夫系武将の典型ですが、馬謖のような若造に話も聞いてもらえない
くらいにバカされていたのも教養がないためであり、あれほど頑固な男が
魏から蜀へあっさり移籍したのも、次第に貴族化していく魏では軽んじられて
いたためだろうということは容易に推測できます。

281 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 09:06
魏延、王平・・・いいねえ、輝け現場の星!って感じ。

苦労人の劉備がその才能を見抜いて抜擢した魏延なのに、あれほど悪人で
おバカな人物にされてしまったのも、
権力闘争に負けた以外に正史や演義を書いたインテリたちの奥底にある
差別感情が影響しているのかもしれないね。

中国の歴史を見れば、古来より文>武という思想があって、
武だけしかなく、かつ影響力をもつ豪族出身ではない場合の武将が
出世競争や権力闘争において悲惨な目にあった事例は多々あります。
魏延もまたその一人なのでしょう。

282 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 09:12
>>280
教養云々の件ではまったく賛同なのだが……。

その見解では、劉備はどちらに入るの?
階級的な意味で士大夫というのと教養的な意味でいうので食い違いがあるようだが。
それとも階級的に士大夫・庶民の差なんてないのだろうか。だとしたら不勉強だったけど。

趙雲は「武侠として地方では多少名前の知れていただけ」と、どこで断言できる?
魏延は従軍当時「一隊長」。劉備のような「士大夫だけど寒門」ではなかったとは?
そういうものだって言われればそれまでだけど。
武侯祀の孫乾の件は興味深い。そういう話のソースはお聞きしたい。参考にしたいので。
(武侯祀が出来たのは何年だったっけ?)

283 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 09:21
>>281
羅貫中の正体はともかく、演義は庶民の間で長らく語り
継がれてきた講談の集大成みたいなものだというから、
士大夫贔屓ってのはないと思うんだが。
張飛が主役の三国志平話もあるし。
魏延は、諸葛亮との不和が運の尽きか・・・・。

284 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 09:33
演義において孔明は正に神だからなー。
それはそれとして、知識人層が高位につくのは、
別にあの時代、あの国に限った話でもないし、
あまり言い募るのはどうかと思う。
個人的には孔明と魏延に対立構造があったとも思えないし。

俺は孔明も魏延も好きだから、適度にマタ−リしようぜ。

285 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 09:47
真三国無双とかの異民族魏延萎えー

286 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 11:12
孔明先生は万事手堅い監督さんみたいな
性格だったのかな?
一方の魏延は打撃に自信のある中距離ヒッター。

孔明先生「魏将軍、バントでランナーを2塁に送ってくれたまえ」
魏延「私は右打ちに自信がありますし、ランナー1塁だから
1、2塁間も広く空いています。ここは積極的に打って出て、
チャンスを拡大すべきです」
孔明先生「魏将軍、3割バッターの君の実力は評価している。
だが、この試合を落とすわけにはいかないのだ。より確実に
点の入る方法を採用したい。一つよろしくお願いする」
魏延「(不承不承)…わかりました」

こんな感じかな?

287 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 11:52
魏延送りバント成功もランナー馬謖が牽制タッチアウトで0点。

288 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 12:36
ちょっとうけた。確かにそんな感じかも。
馬謖ってつくづく不肖の弟子やなぁ。
報われない魏延タン・・・

289 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 17:23
魏延「ベンチがアホやから北伐がでけへん!」

290 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 18:28
俺のところも上司Hサンは東大卒で孔明みたいに仕事はできる人なんだけど、
人を見る目がない。
俺は三流私立の卒だし、俺の同期のKも専門学校卒なんだけど
仕事は競い合ってバリバリやっている。
でも、昇進するのは上司Hの後輩や、有名大学卒で英検とかいろいろ資格は
もっているけど仕事は全然できない奴らバッカリ (T_T)
なんで二人で年間億近い売り上げをあげている俺とKはヒラで
後輩で仕事ができないやつらが係長や課長なの・・・。

魏延の孔明に対する気持ちって、俺やKのHサンに対する気持ちと
同じなんだろうな・・・。

291 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 18:33
>>209のカキコ見ると、なんだか孔明の人の見る目のなさに腹が
立ってきたw

292 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 18:34
>>290
違うでしょ。

293 :291:02/09/22 18:34
ゴメン
>>209じゃなくて>>290の間違いだ

294 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 18:37
魏延は出世しまくりじゃん。
ただ、プロジェクトを自分の思うようにさせてくれないだけで。

295 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 18:44
>290
ほんとに仕事がでいきない奴等は今の世の中じゃ出世できないよ。
それでも出世できるってんならそれはかなり古い体質の会社だと思うぞ。

アンタとその出世してるやつ等は仕事が違うんだよ。
魏延に丞相の仕事が向かないのと同じことだ。

296 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 18:59
なんか知らんが妙に殺伐として来たな(w
良くも悪くも夢一杯な趙雲スレとは正反対の方角を向いてるな。

297 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:01
>>290
それは違うと思う。
北伐を行い、法科主義に則った政治を行ってなお民衆に愛された
諸葛亮は非凡。
人を見る目に関しては、きちんと後継者を推薦して国を保っている。
まともな後継者を残すことが国を治めるものとしての最大の職務。

攻勢防御であった北伐の、別働隊司令官の人選ミスは政治家としての
大きな問題ではないと思う。
また、作戦上の対立は魏延と諸葛亮の立場の違いだと思われる。

298 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:04
>>297
>政治を行ってなお民衆に愛された
不満が出なかったと愛されたは違うのでは?

それに諸葛亮で問題なのは武官を見る目が無いこと、劉封も謀殺したし。

299 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:11
>>298
愛されたのは確か。民衆のレベルで祀られてる。
秦の法家主義への反発以降、愛された法家というのは珍しい。

劉封の謀殺は統率上の観点からでは?
袁家の末路を見ても、後継者争いは国家としての致命傷になりかねない。

300 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:17
>>299
つまり劉封は諸葛亮にとって利用価値が無いので始末したってこと?

301 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:21
まぁまぁ。漏れは>>284に同意だ、殺伐とするなって。
孔明アンチか知らんがちょっと言動が過激だぞ。
大体、国が認めなかったのに民衆達にこっそり祭られたなんつー人間を
不満が出なかった位では済ませられんだろ。

劉封の件に関しては全面的に擁護する気は無いが、
安易に養子なんか取ってしまった劉備が良くなかったとも言えるな。
関羽が養子縁組を非難したってのは正史だっけ、演義だっけ?

302 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:21
>>300
端折り過ぎ

303 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:21
それよりも陳寿が無理に劉焉・劉璋を悪く書いて蜀の正当性を主張したり
諸葛亮に関して悪い点を殆ど書かない贔屓には

304 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:31
>>300
国を割る要因になると判断したと思われる。
無益ではなく、有害ね。
呉のように後継者で揉めるのを予防したとも考えられる。
劉備の個人的魅力で成り立っていた集団を国家に変えるための
政策じゃないかな。

305 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:32
陳寿が孔明シンパだったのはまず間違い無いが
(孔明の事は少しでも良く書こうとしてるよな、あれは。
 正史は無味乾燥と言う所が多いが、あそこは凄く人間的な気がした)
劉焉親子に関しては別に問題ないんじゃないか?

親父の方はかなりの食わせ者だし、息子の方も無難に国をまとめていれば
劉備にあっさり益州を取られたりしなかっただろ。
劉備の益州乗っ取りを正当化するもんじゃないが、
統治者としては問題のある親子だったのではないかと思われ。

306 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:35
>>303
あんた、ちくま正史五巻の解説ちゃんと読んだか?

307 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:36
>>305
劉焉は有能なのは確実だが評で「無能」扱いしている

308 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:42
>>300
そもそも劉封の人物に問題があったらしい。
彼は孟達の楽隊を勝手に奪ったりする人物だったらしいから。
正史では演義と違い、劉封の処刑を劉備が悲しんだという記述はなく、
劉封も孟達の「魏に寝返れ」という誘いを断ったことを後悔したとある。

309 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:44
>>308
おー、劉備は涙流してなかったか?

310 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 19:54
劉備が劉封の死を悲しんだ・・・と言うのはあった気がする。
その辺りの事情は微妙な所があるので、劉封の言動も含めて
蜀に都合の言い様に書かれている可能性も無いとは言えない。

一つ言えるのは諸葛亮が内輪の争いを極度に警戒していたという事か。
諸葛亮を陰湿に見せる逸話には必ずそう言う所が絡んでくる。
それが保身の為か、国を思っての事なのかは各人の考え次第だな。

311 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:00
>>310
少なくとも財産欲のためでは無かった。
また、私欲や保身のためだと民衆が思っていたのであれば、
祀られるほど愛されなかっただろう。

小国が大国に抗していくためには、内部分裂は致命的。
非情ではあるが陰湿ではないと個人的には思う。

312 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:02
魏延「何でもいいから出ていけ、ゴルァ」

313 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:07
蜀関係のスレにはかならず諸葛亮が顔を出す罠。

314 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:10
どっちみち蜀書は資料不足で陳寿の史観はいりまくりだが

315 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:19
>>311
最大の謎は劉封を養子にした時期。
劉禅が生まれた後に養子にしたのならば、理由がわからん。

316 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:35
魏延と孔明の対立はそれぞれの立場で懸命に考えた末のものだったと思う。

魏延「戦争は机上で起きてんじゃねぇ、現場で起きてんだ!」

317 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 20:37

諸葛亮「漢王朝再興なんてできやしねえんだ、北伐は延命策なんだYO!」

318 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 23:40
武侯祠のこと、どこかのHPでは、1位趙雲、2位孫乾、3位なぜか張翼、
4位馬超、 益徳とヒゲどのは別格、  とかいてありました。以上

319 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 23:49
 諸葛亮、馬ショクは机上の空論、王Hey!と魏延は現場の実戦派。

ついでに、・・・
ときに王平は、若い頃から戦争やってて、教育を受ける機会に恵まれなかった。
で、手紙がきても周りの者に代読してもらったそうで。

 兵士「なぜ将軍は読み書きが苦手なのに用兵をわきまえておられるのです?」
 王兵「なに、からだでおぼえたのさ(敢えてひらがな)」
こんなカンジでしょうか。

320 :おうへいしきん:02/09/22 23:51
>319
王平は書物を部下に読んで貰い、それについて感想を述べたり
したが、的を外していなかったとか。
ドキュソではない。

321 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 23:52
>319
王平は文字が読めなかったので部下に読み上げさせたって聞いたが?
兵法も「なに、憶えるまで部下に読み上げさせたのだ」ってどっかで見たぞ。

322 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 23:55
どっちにしろ、字も読み書きできないようなところ(一兵卒?)から、
史書に名を残すまで上り詰めた王平はカコイイ。

323 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 23:58
字が読めなくても泣いて斬られるよりずっといい

324 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 23:59
>321
 まあ、経験がモノを言うってことは間違いないですね。
 王平(わん・ぴー)って読むのかな?

325 :おうたいら:02/09/23 00:00
誰かこのスレ読んで「王平スレ」立てたな。


326 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 00:07
良スレ

327 :王平:02/09/23 00:12
 バショクは、功をあせっている・・・

328 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 16:55
魏延、王平ともに兵隊あがりだが、王平はうまく与党にもぐりこめたので
後世の株を上げたよなあ
魏を裏切って蜀へ、そして文官派に取り入って魏延の鎮北将軍の位にまで昇進かよ!
王平って以外に世渡り上手
でも、俺は人付き合いの下手な魏延が好きさ

329 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 17:40
>276
そうですねーいちおう、丞相が亡くなるまでは内訌より外征で政略的に一致していたわけだし・・・
(個人的なつき合いや好悪の情はキッパリ別として)

「後漢の復興」はタテマエなんだけど蜀の国是やからね
魏延としては丞相亡き後、本気で魏を打倒してどうこうしようという
意志も実力もないであろう蜀に絶望してしまったんだろか? あの晩節の投げやり加減がな〜

330 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 21:25
趙雲、魏延・・・あと韓x(韓当など)がいれば戦国三晋の末裔トリオが
組めたのにおしいな

331 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 21:29
結局諸葛亮亡き後の蜀漢は姜維みたいなアホのせいで弱体化したって事だね

332 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 21:42
正史における魏延って、劉備自身が張飛を差し置いて漢中太守に抜擢した
ぐらいだし、軍部における位もすでに趙雲などと同等に達している。
これで孔明や文官たちと対立せずにうまく一生を終えていたら、
蜀書では間違いなく関張魏xx伝が立てられ、活躍期間の短い黄忠・馬超や
正史では地味な趙雲のうちのだれかは五将からははずれていただろうな。
そして演義ではめでたく五虎大将入り。
もったいない・・・

333 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 21:53
>>332
趙雲が鎮東将軍になったのは"東"という位置づけから見て、劉備の荊州奪回が
敗戦になった後、江州一帯を鎮めて呉の侵入を防いだ実績からだと思われ。
ということは劉備が漢中王になったころは翊軍将軍か虎威将軍だから
鎮遠将軍・漢中太守の魏延のほうが上では?


334 :ガルマ:02/09/23 22:06
>>332
劉備が漢中王になったときの上奏文の連名順位(馬超、許靖、ホウ羲、射援、諸葛亮、
関羽、張飛、黄忠、頼恭、法正、李厳・・・)から考えて、関張黄は決まり。
馬超が蜀では異質な武将であることから単独で伝が立ったか、趙雲が
五将列伝から外れて、別の武将の伝にくっつけられたの、どちらかの可能性が
高い。

335 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 23:16
事後諸葛亮

336 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 23:18
妥当なのは関張馬xxだよ。馬超は武将ではなく帰順した賓客だから、最古参の関羽張飛
の次は堅い。
まあ、演義で固まった「五将」ってスタイルにこだわるのも無意味だしな……。

337 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 23:39
>336
伝が5人なのは正史だよ?

338 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 23:56
>>337
功績のある武人が6人いれば、6人の列伝にすればいいだけの罠。

339 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 01:46
ttp://gohan-uma.hoops.jp/image/sangoku/28yokoyama03.jpg

340 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 06:41
>>336
うわぁ・・・演義が先だと思っている人がいるなんてw
ある意味スゲェ

>>338
わりと3とか5とかは"易"とか"道"とかで意味のある数字だから6には
ならないと思う
正史に6人セットの伝なんてあったっけ?
手元に正史ないから確認できない
もし、あったらスンマソ


341 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 17:20
>>333
それって別伝?

342 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 19:39
なんつーかこーゆーヤシが一番アレだよなぁとか思ったりする今日この頃

343 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 20:23
>>339
どっかでみたことある・・・

344 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 20:24
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\




345 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 20:43
>332
柔弱なレスでなんスけど
「天地を喰らう」で“五虎将”魏延がPC選択可ってのはそれなりにウレシかったス
(中途採用だから?錦バチョーが抜けていたかと)

346 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 22:04
なぁ、お前等に頼みがある。
正史ってどこの出版社からでてるんだ?
正式なタイトルや値段を教えてくれ!

どっかに公式なページとかないですかい?

347 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 22:22
googleで魏延を検索していると、
諸葛亮と魏延のホモ小説を発見してしまった。
それによると、魏延の作戦を諸葛亮が却下した理由は、
魏延を死なせたくないかららしい。
こういう考え方もあるんだねえ

348 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 22:35
>>346
そんな質問は、次から雑談・質問スレでやって欲しいな……。

『正史 三国志』 陳寿【著】・裴 松之【注】 \1,500(税別) 全八刊
                  「ちくま学芸文庫」より。
低下で揃えると光栄三国志並だぞ。
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%90%B3%8E%6A+%8E%4F%8D%91%8E%75
簡単な紹介はこれの下の方な感じ。なぜか魏書1が出てこないが。

349 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 22:37
>>348
すまん。
オレは魏延が好きなんだが、
さっきここを見つけて読んでたら
すぐにでも正史が読みたくなったのだ。。
申し訳ない。。

350 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 22:41
>>347
するってぇと魏延が諸葛亮を臆病者呼ばわりしたのは
好意が有るのになかなか一線を超えなかったからですかい?

351 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 22:43
蜀書って一冊しかないんだねw
明日、帰りに買ってきます

352 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 01:52
全8巻のうち蜀書は1巻しかない
にもかかわらず、蜀の人物についての民間伝承は他の2国を上回り演義となった
蜀書がもっと充実していたら、演義はどうかわったんだろうね?
孔明は万能ではなくいくつかの欠点をもっていたが、基本的に優れた
政治家であり、趙雲は超人ではなく実直かつプロフェッショナルな武人であり、
陳到がどういう人物であったかが記され、そして我らが魏延は野心的で
性格に問題はあるが、プロフェッショナルで北伐期の蜀を負ってたつ男で
あり、「謀反」の罪状は起こるべくして起こった悲劇を勝者が裁いた結果に
過ぎないと書かれたのだろうか?
興味はつきないね


353 :347:02/09/25 08:47
>350
いや「自分を信頼してないのか」みたいに拗ねてる感じでした。
当方男ですが、思わず読みふけってしまいましたよ。
まさかあるとは思いませんよ、諸葛亮と魏延のホモ小説とか。

354 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 09:30
ホモ小説って江森?
あれはホモというのを目を潰れることが出来るなら、かなり良い出来だ。

355 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 11:30
所詮人数が多いほうが勝つんだよ。

356 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 11:33
蜀の記述が少ないのは香具師が歴史担当の役人置かなかったから

357 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 11:38
太史(史官)のこと?

358 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 11:48
史官いない事で、なんぞメリットがあったのか。
他に史官を置かなかった国家ってある?


359 :魏延党下っ端:02/09/25 15:42
>315
いや、養子にしたのは劉禅誕生前だ。
なんでも、劉備にもう子供が出来なくなった場合を考慮してだとか…。
劉備はもう40代後半だったしな

>358
俺の知る限りではないなあ。
まさか諸葛亮は自分の独裁をばらされたくなかったんじゃなかろーな?
・・・まあ、単に余裕が無かっただけかもしれんが

360 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 16:13
1人で何でもやらないと気が済まない孔明たん。
史官も自分でやるつもりでした、とか。

361 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 16:51
何故に史官がどうのと趙雲スレと同じ流れに傾くのか(w

362 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 17:08
鍾会が謀反を起こした時の騒動で殆ど焼失したに違いない!……と妄想。
>蜀の歴史

363 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 20:38
元々無いんだそうだ、すげえ重要な役職なんだが

364 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 21:15
>>363
諸葛亮が廃止したはず。正史見てみる。

365 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 21:29
>>364
独裁者諸葛亮か

366 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 22:52
孔明が史官を廃止したのは三国志七不思議の一つです。
後の六つは知らんが。

367 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 01:03
・趙雲
スピードが速く初心者でも使いやすいが、
圧倒的にパワーが弱く、攻撃範囲も狭いため、
慣れてくると段々不便さが目立ってくる。

・魏延
パンチからの投げがもう一つ使いづらい上に
サマーも当たらないことがあったりして
初心者にはお勧めできない。
そこそこパワーはあるので慣れてくると
まあまあ使えるが、それでも関、張の二勇の
使いやすさには遠く及ばない。
「赤壁の戦い」の面では
強力な剣(名前忘れた)を出すとき、他のキャラなら
ジャンプ→通常攻撃で出るところを、なぜか魏延だけは
サマーを使わないと出ず、これに気づくまで
「やっぱり魏延は終わりがよくなかったから
冷遇されてるのかなあ」と思った。

・総合評価

関羽>>張飛>>>>魏延>趙雲>>(剣閣の防御度)>>黄忠

368 :無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 22:44
孔明一族の顔が長いのが三国志七不思議の二つ目です。
後の五つは知らんが。

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